所沢市議会議員 末吉みほこ

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2019年 4月 11日 (木)

立憲民主との出会い

by 末吉美帆子

 2007年、所沢市議会議員一年目。
10月に斎藤市長の引退を受け、民主党県議の当麻好子さんが市長に立候補。当麻さんは生活クラブ生協所沢支部初期300人の創立メンバー、給食や環境運動の先輩でもあり応援に参じました。当麻市長当選後、応援した民主党市議3人と「民主ネットリベラルの会」会派を組みました。必ずしも全ての考えが一致しなくても、議案に関してとことん議論する仲間でした。だからこそ11年も続いたのだと思います。
 2017年10月。さいたま市の熊谷裕人議員から電話がありました。「大河原雅子さんが立憲民主党北関東ブロック比例から立候補します。応援に来ませんか?」と。
大河原雅子元参議院議員は、民進党全国比例区で悔しい落選をしていました。元東京生活者ネットワーク代表大河原さんの新しい戦い。「行きます」と即答しました。
 衆議院公示日、大宮駅。
全国応援の後、地元に戻った枝野幸男代表は新党立ち上げの気迫に満ち凄まじいオーラを発散していました。演説後、NHK埼玉支局へ移動する枝野カーにさいたま市議と二人で同乗しました。あの光景は忘れられません。対向する車両から、歩道から、窓から、店から振られる応援の手。閉塞した政治に待ちに待った新風が吹いた瞬間でした。
大宮での街宣カーにも乗りましたが、どうしても比例5位の大河原雅子さんの宣伝をしたいと願い、立憲カーを所沢に夜回してもらいました。今までリーフ配布などしたことのない市民も一所懸命駅頭をしてくれました。街宣カーに乗りながらこれは6位まで全員当選するのでは?と予感したのを覚えています。
枝野さんは初日のあの夜、大宮駅で「立憲民主党を作ったのは私ではない、市民のあなたです」「人は誰しも思った通りにいかず苦しい時もある、そんな時に政治の力が必要です」と言いました。
私は民生委員の時相談された女性を思い出しました。火事、配偶者の死、倒産そして心の支えの娘の死。他に子どもはいるが絶対迷惑をかけたくないという涙。ひたすらまじめに優しく生きてきたのはお顔を見ればわかりました。ほんの少し何かが狂っても転落する、それが人間の生活だからこそセーフティネットが必要なのです。だからこそ私のポスターに「誰一人見捨てない社会を」と書きました。見捨てられ、置いていかれてもよい人など誰一人いないのです。

 草の根民主主義、ボトムアップ、市民政治、市民が主役。自分たちが求め、目指してきた理念がありました。
どんな組織も生まれた瞬間から淀み、新しさを失う宿命を背負っています。立憲民主党も多くの波乱を内蔵しているのかもしれません。しかし不断に多くの課題に向き合い立党の理念を降ろさないことを信じ、旗に連なり公認を受けました。
 ここに縷々書いた経過がなかったら政党の公認を申請することはなかったかもしれません。そしてこの前のブログに書いたように不思議なほど私の政策に変更はないのです。
国政と市政は違うという以上に「政治の主役は市民」この信念こそが変わらなければやることは変わらない。
組織も政党も油断すればすぐ古び、澱み、老います。
だからこそ結党初日のあの感動を決して忘れず、市民政治の体現に邁進していきたいと心から願っています。

T R A C K B A C K
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