by 末吉美帆子
2007年、所沢市議会議員一年目。
10月に斎藤市長の引退を受け、民主党県議の当麻好子さんが市長に立候補。当麻さんは生活クラブ生協所沢支部初期300人の創立メンバー、給食や環境運動の先輩でもあり応援に参じました。当麻市長当選後、応援した民主党市議3人と「民主ネットリベラルの会」会派を組みました。必ずしも全ての考えが一致しなくても、議案に関してとことん議論する仲間でした。だからこそ11年も続いたのだと思います。
2017年10月。さいたま市の熊谷裕人議員から電話がありました。「大河原雅子さんが立憲民主党北関東ブロック比例から立候補します。応援に来ませんか?」と。
大河原雅子元参議院議員は、民進党全国比例区で悔しい落選をしていました。元東京生活者ネットワーク代表大河原さんの新しい戦い。「行きます」と即答しました。
衆議院公示日、大宮駅。
全国応援の後、地元に戻った枝野幸男代表は新党立ち上げの気迫に満ち凄まじいオーラを発散していました。演説後、NHK埼玉支局へ移動する枝野カーにさいたま市議と二人で同乗しました。あの光景は忘れられません。対向する車両から、歩道から、窓から、店から振られる応援の手。閉塞した政治に待ちに待った新風が吹いた瞬間でした。
大宮での街宣カーにも乗りましたが、どうしても比例5位の大河原雅子さんの宣伝をしたいと願い、立憲カーを所沢に夜回してもらいました。今までリーフ配布などしたことのない市民も一所懸命駅頭をしてくれました。街宣カーに乗りながらこれは6位まで全員当選するのでは?と予感したのを覚えています。
枝野さんは初日のあの夜、大宮駅で「立憲民主党を作ったのは私ではない、市民のあなたです」「人は誰しも思った通りにいかず苦しい時もある、そんな時に政治の力が必要です」と言いました。
私は民生委員の時相談された女性を思い出しました。火事、配偶者の死、倒産そして心の支えの娘の死。他に子どもはいるが絶対迷惑をかけたくないという涙。ひたすらまじめに優しく生きてきたのはお顔を見ればわかりました。ほんの少し何かが狂っても転落する、それが人間の生活だからこそセーフティネットが必要なのです。だからこそ私のポスターに「誰一人見捨てない社会を」と書きました。見捨てられ、置いていかれてもよい人など誰一人いないのです。
草の根民主主義、ボトムアップ、市民政治、市民が主役。自分たちが求め、目指してきた理念がありました。
どんな組織も生まれた瞬間から淀み、新しさを失う宿命を背負っています。立憲民主党も多くの波乱を内蔵しているのかもしれません。しかし不断に多くの課題に向き合い立党の理念を降ろさないことを信じ、旗に連なり公認を受けました。
ここに縷々書いた経過がなかったら政党の公認を申請することはなかったかもしれません。そしてこの前のブログに書いたように不思議なほど私の政策に変更はないのです。
国政と市政は違うという以上に「政治の主役は市民」この信念こそが変わらなければやることは変わらない。
組織も政党も油断すればすぐ古び、澱み、老います。
だからこそ結党初日のあの感動を決して忘れず、市民政治の体現に邁進していきたいと心から願っています。
by 末吉美帆子
3期12年所沢市議会議員を務めさせて頂きました。
市民ネットワークからの要請を受けた時、私は生活クラブ生協理事長でした。趣味や地域活動より生活クラブを優先してきた10年目の最後、現職と選挙が両立できるとは考えられず当然のようにお断りしました。しかし当時の市民ネットワーク代表は諦めませんでした。
「わたしたちのまち わたしたちの手で」の理念のもと前代理人 君田議員の後空いた四年間の悔しさ、地方政治に市民の代弁者を送り出す強い意思に、ついに選挙を決断したのが年末。1月に始めた選挙準備に、間に合うわけない、泡沫候補と言われましたが当選することができました。投票前日は、代表幹事をしていた石けん運動の表彰式とフォーラム開会式にどうしても行かなければならず、選挙翌日は生活クラブで石けんの講演。よく倒れなかった、当選したなと今さら感じます。
男女共同参画、地域猫、成年後見、図書館、給食、障害者福祉、私自身の体験や感性から12年間必死に駆け抜けてきました。その間には障害者が働く八百屋ごんべえ、菜の花プロジェクト所沢、財政分析、所沢ねこのネットワーク、高齢者サロンなど立ち上げ、多くの素晴らしい仲間と活動を進めてこられたのは誇りであり感謝です。
しかし、市民ネットワークは、家庭の事情で代表が次々離脱、高齢化、硬直化が進み新陳代謝がはかれませんでした。最大三期をローテーションとする次期候補者の擁立に向けてお誘いや説得もずっと進めてきましたが、専業主婦モデルであるネット議員の条件は仕事を持つ女性の現状を下回るものでもあると痛感しました。
ネット運営委員に交渉した時に「私はできないし友人にも勧められない、支える体制が弱い」と言われ返す言葉がないほど共感しました。
1月。ネット候補者擁立を断念しお誘いを頂いた立憲民主党の公認を頂いて、ネットを離脱し4月を目指すことを決断しました。この間の半年以上ネットワークとは話し合いを重ね、まったく円満な離脱です。最後まで代理人寄付として最後の報酬まで寄付します。
貫くものは「市民自治、市民政治の体現」であり草の根民主主義、ボトムアップで市民とともに政治課題に取り組むことに何ら変わりはありません。不思議なほど私の内面や政策目標は変わりません。
そしてできることなら再び市民ネットワークが新陳代謝をし擁立できるほどの力を持てることが私の望みでもあります。ネットとも一緒に歩んでいきたいと思います。
最後に、私の後継者になる、私で良いのかなと笑顔を見せていた彼女の笑顔が永遠に見られないこと、もうすぐ一年になる悲しかった日に、私が再び希望をもち彼女からもらった宿題を実現できたらと心から願うばかりです。